■市の沿革 | ||||||||||||||||||
本市は、東日本最大の天神山古墳に代表されるように、古墳時代から開けた地域です。 市の西部は、奈良時代に東山道が通り新田駅が置かれ、中世には新田義重により荘園として寄進され、新田の荘と呼ばれるようになりました。 江戸時代には、日光例幣使街道の宿場町として発展するとともに、市北部が代官の岡登次郎右衛門景能による新田開発により入植開墾が進められました。 明治42年に東武鉄道が開通し、大正時代に入り中島飛行機製作所が創業すると、軍需産業の伸展とともに飛躍的な発展を遂げました。 戦後は、自動車・金型・メリヤスなど諸工業の発展、さらに機械・電気工業等の伸展により、北関東を代表する工業都市として成長を遂げました。 現在は、ヤマトイモや紅こだま西瓜、肉用牛などに代表される農業と、工業のバランスの取れた都市になっています。 今後は、北関東自動車道の開通により、広域交通の利便性が高まり、より一層の発展が期待されます。 このような状況のもとで本市は、東毛地区の中核都市として、さらには両毛地区の拠点都市として発展を続けています。 |
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太田の市街地 |
人の動き(平成19年2月現在)
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■市章 |
■市の花・市の木 |
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キク |
モクセイ |
カエデ |
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◇平成17年6月28日告示。 かつて、この地域を治めた新田氏の旗印である大中黒をベースに、右下に市名をひらがなで配置。カラーは黒で、大中黒に脈々と受け継がれる伝統と革新の精神を表現しています。 |
■太田市市民憲章 | ||
太田市市民憲章は新市における市民の皆さんの行動指針として、新たに定めたものであります。 この憲章は、将来に亘る不変的な市民の規範であるとも言われており、また、広く市民に愛され、その精神を守り、育て、市民生活の中で実施されてこそ意義のあるものとなります。 一 自然を愛し 歴史を学び 文化を育てる まちをつくります 一 教養をふかめ からだをきたえ 人権を尊重する まちをつくります 一 力をあわせ 知恵をだし 豊かな まちをつくります 一 きまりをまもり 助けあい 明るい家庭で 楽しい まちをつくります 一 環境を大切にして 産業をおこし 生きがいのある まちをつくります 平成18年3月28日制定 |
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市のシンボル木「マツ」 | 平和の塔 |